志村けんさんは、日本のコメディ界において「喜劇王」と称されるほどの偉大な人物であり、長きにわたり国民的な人気を誇ったコメディアンです。
志村けんの歴史
付き人時代とドリフターズ加入(1968年〜1974年)
1940年、東京都東村山市に生まれ、高校卒業後にコメディアンを目指します。
1968年、ザ・ドリフターズのリーダーであるいかりや長介さんに弟子入りを志願しますが、当時のドリフターズは付き人制度を取っていなかったため、渡辺プロの社員という形で、ドリフターズの付き人兼見習いとなります。
付き人時代を経て、1974年4月、脱退した荒井注さんの後任として、ザ・ドリフターズに正式加入します。
国民的スターへの飛躍(1974年〜1985年)
ドリフターズ加入後、彼が中心となって生み出したギャグやコントが爆発的な人気を博し、TBS系『8時だョ!全員集合』を国民的番組へと押し上げました。
彼の初期の代表的なギャグである「東村山音頭」が大流行し、一躍スターダムにのし上がります。
1977年に始まったフジテレビ系『ドリフ大爆笑』では、個人としてのコントや、加藤茶さんとの名コンビによるコントでさらなる人気を確立しました。
1985年に『8時だョ!全員集合』が終了した後も、ドリフターズのメンバーとして活動を続けました。
独自のコント番組時代(1986年〜2000年代)
1986年からフジテレビ系で放送が始まった**『志村けんのだいじょうぶだぁ』**で座長としてメインを務め、長年培ったコントのセンスを遺憾なく発揮しました。
この番組で、アイーン、変なおじさん、ひとみばあさんなど、数々の伝説的なキャラクターとギャグを生み出し、老若男女問わず愛されるコメディアンとしての地位を不動のものとしました。
『志村けんのバカ殿様』も人気を博し、彼のライフワーク的なコント番組として長年放送されました。
志村さんが生み出すコントは、セリフよりも表情や動き、そして間(ま)を重視する、チャップリンなどに通じるような肉体派の喜劇として特徴づけられます。
晩年の活動(2000年代〜2020年)
2000年代に入っても、コント番組の特番化や、バラエティ番組への出演、舞台公演(志村魂)などを精力的に行い、日本の笑いの文化を支え続けました。
また、お酒好きとしても知られ、独特の交友関係やプライベートがテレビでも語られ、親しまれました。
2020年3月29日に、新型コロナウイルス感染症により急逝されました。その訃報は日本中に大きな衝撃と悲しみを与え、改めてその功績の大きさが国民に再認識されました。
主な出演番組
志村けんさんは、主にフジテレビ系とTBS系で長寿のコント・バラエティ番組に出演していました。
コント・バラエティ番組(座長・メイン)
8時だョ!全員集合(TBS系、1974年〜1985年):
ザ・ドリフターズの一員として、国民的な人気を博した公開生放送のバラエティ番組。
ドリフ大爆笑(フジテレビ系、1977年〜):
ザ・ドリフターズを中心としたコント番組で、加藤茶さんとの名コンビコントが多く生まれました。
志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ系、1987年〜1993年):
彼の代表的なコント番組で、「変なおじさん」「ひとみばあさん」など数々の人気キャラクターが誕生しました。
志村けんのバカ殿様(フジテレビ系、1986年〜):
彼の代名詞的なコント特番で、殿様のキャラクターを演じ、ゲストと共演する形式で長年放送されました。
志村けんのあそび隊(フジテレビ系、1999年〜2000年):
深夜帯に放送されていたコント番組。
志村屋です。(フジテレビ系、2008年〜2010年):
座長を務めた深夜のコント番組。
志村けんのしむらんど(フジテレビ系、2008年〜2010年):
ファミリー層をターゲットにしたコント番組。
その他のレギュラー番組
天才!志村どうぶつ園(日本テレビ系、2004年〜2020年):
動物バラエティ番組で、志村さんはメインMCを務め、「園長」として多くの動物と触れ合い、新たなファン層を獲得しました。